なぜ本番だとテンポが速くなる?演奏が「走る」科学的メカニズムと今日からできる克服法

クラシックギター演奏時の時間の認知が狂ってしまうイメージ画像 初心者向け
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普段の練習に比べ、本番の演奏はテンポが速くなりがちです。速くなりすぎた結果、演奏そのものが崩壊したという経験は多くの方が持っているのではないでしょうか?実はこの「走る」という現象は努力や根性、精神論ではなく科学的に解明された克服可能なものなのです。この記事では本番で走る理由と克服法方法を科学的な事実に基づいて解説します。

この記事を書いた人
かーる

クラシックギター歴35年、国際コンクール入賞経験を持つ演奏家・レビュアー。「ヘルマン・ハウザー2世」や「ヘスス・ベレサール・ガルシア」を愛用し、演奏者視点で忖度ない機材レビューを発信中。弦のレビュー数は70種類以上。
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練習では弾けたのに本番だと走って崩壊する理由

練習だと落ち着いて弾けているのに本番だと演奏のテンポが速くなってしまう現象を一般的に「走る」と表現します。

そしてよく走る人のことは「走り屋」と呼ばれ、ソロ演奏で演奏が崩壊するほか、重奏や合奏ではほかの方のテンポをも速めてしまう恐るべき存在とみなされることも少なくありません。

何を隠そう私自身立派な走り屋で、毎回もっとゆっくり弾くべきだったという後悔があります。

そこで走り屋を卒業すべく、そもそもなぜ人は本番で演奏のテンポが速くなってしまうのか、どうやったら克服できるのかを科学的に調査しました。

本番で演奏のテンポが速くなる原因

まずはなぜ本番でテンポが速くなる原因について解説します。原因は大きく分けて3つです:

  1. 時間知覚が歪められてしまう
  2. 無意識で弾けなくなる
  3. 逃避行動としてテンポが速くなる

1. 時間知覚が歪められてしまう

普段の練習では走ることがないどころか、弾きなれた曲は常に一定のテンポで演奏できます。

それにも関わらず、本番ではなぜか自分が走っていることに気づけません。このことを奇妙に感じる方も多いのではないでしょうか。

これは脳内の時間知覚そのものがストレスホルモンによって物理的に歪められてしまうためです(参考:Droit-Volet and Gil, 2015)。

人間が時間を知覚する仕組みは以下の3つの要素から構成されるモデル(内部時計モデル、Scalar Expectancy Theory: SET)で説明されます:

モデルの要素通常時の役割とメカニズム極度の緊張・興奮時の変化
ペースメーカー (Pacemaker)脳内で一定のテンポでパルス(時間的単位)を生成し続ける。アドレナリンの分泌により、パルスの生成速度(レート)が異常に加速する。
スイッチ (Switch)時間の計測を開始・終了する際に開き、パルスをアキュムレータへと通す。注意が脅威(聴衆や失敗の恐怖)に過剰に向けられることで、スイッチが早く・長く入りやすくなる。
アキュムレータ (Accumulator)スイッチを通過したパルスを蓄積し、その総量で主観的な時間長を決定する。ペースメーカーの加速により、短時間で通常より多くのパルスが蓄積され、実際の時間よりも「長く時間が経過した」と錯覚する。
人間の時間知覚モデルの要素とその役割

簡単に言えばストップウォッチのようなもので、スイッチがストップウォッチのON/OFFボタン、ペースメーカーがストップウォッチの秒を更新するタイミング、アキュムレータがストップウォッチが表示している時間ですね。

練習時時はすべての要素が普段通り動いているので、多少の揺れはあっても、一定のテンポで演奏できます。

しかしながら、極度の緊張状態では血中のアドレナリンやコルチゾールが増え、ペースメーカーの速度が通常より速くなってしまいます。つまり、メトロノームの設定テンポが勝手に速くなってしまうのです。

実はこの現象、人間が生命の危機を感じた時に生存確率を上げるために獲得したという説があります。

交通事故などの瞬間に景色がスローモーションに見えるという現象がありますが、あれは脳が自己防衛のために感覚情報を急速に処理しようとするために起きます(参考:Douglas Niedt)。演奏が走る現象はこれと原理が同じなのです。

この結果、聴衆はテンポが速すぎると感じますが、本人は普通だと感じるかあるいは少し遅いくらいだと感じ、演奏が練習時より速くなります。

2. 無意識で弾けなくなる

2つ目の原因は緊張によって無意識での演奏ができなくなる点にあります。

熟練したピアニストやギタリストなどを対象とした研究によると、熟練した演奏家は通常、次に弾くべき音を事前に予測し、一連の指の動きを自動化されたプログラムとして実行します(参考:Kotani and Furuya, 2018)。

音楽はなめらかに演奏するのが基本なので、今の音を聴いてから次の音のことを考えていては間に合いません。そこで、今弾いている音や弦の感覚などに頼らず、無意識で次々と指が動くような仕組み(フィードフォワード制御)で楽器を演奏します。

ところが、本番のプレッシャー下ではこのフィードフォワード制御が破綻し、自分が弾いた音や指の触感的な感覚をいちいち確認してから次の動きを決定する「フィードバック制御」へ異常移行してしまうことがわかりました。

フィードバック制御はさまざまな感覚情報を脳で処理してから次の動きを考えるため、情報処理に時間がかかります。

その結果、「指が思うように動かない」とか「次にどの音を弾くべきか一瞬わからなくなる」といった知覚の混乱が起き、それによってさらなる焦りとテンポの加速が誘発されるのです。

3. 逃避行動としてテンポが速くなる

演奏中に恐怖を感じるギタリストのイメージ画像

時間知覚の歪みのところでも説明しましたが、ステージ上での緊張は脳にとって「生命に対する脅威」として認識されます(参考:Catholic Liturgical Ensmble Formation)。

そして、人間は生命に対する脅威を感じると生存確率を高めるため、脳に「闘争・逃走反応」引き起こされます(参考:The Stress-Proof Brain)。

「闘争」は文字通り戦う行為であり、演奏においてはより力強い表現につながるでしょう。

一方、「逃走」は逃げることですが、さすがに演奏をやめてステージ上から走り去るわけにはいきません。そこで脳は「この恐ろしい状況を一秒でも早く終わらせる」ためにテンポを上げるのです。

科学的根拠に基づいた「走らないための対策」:練習での対策編

ここまで解説した走る原因に基づき、練習時にできる走らないための科学的な対策をご紹介します。

本番を模した練習を行う

本番での「走り」を予防するには、軽い不安やプレッシャーを誘発する環境での練習が効果的です(参考:Bie, et al., 2024)。

研究によると本番と全く同じ不安である必要はなく、軽い不安状態での練習であってもより高い不安状況下でのパフォーマンスの向上につながると証明されています。

具体的な練習方法としては以下が考えられるでしょう:

  • スマホなどで録画しながら通し練習を行う
  • 家族や友人の前で模擬本番を行う
  • 階段を駆け上がるなどして意図的に心拍数を上げた直後に演奏を開始する

3番目の練習方法はやったことがない方が多いかと思いますので、一度試してみてください。

フィードフォワード制御の強化

フィードフォワード制御を強化するには、自分の音があえて遅れて聞こえる環境での練習が効果的です(参考:Kotani and Furuya, 2018)。

自分の音が遅れて聞こえる環境だと、どうしてもそれを補正しようとしてあがいてしまいます。補正する行為はまさにフィードバック制御です。

あがきを捨て、自分のフィードフォワード制御を信じて弾く練習により、本番でも同様に無意識で弾き続けるようになると研究で実証されています。

クラシックギターの場合はサイレントギターの音声出力をデジタルエフェクターにつなぎ、遅延させることで同様の練習ができそうです。

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メンタルトレーニングを行う

ステージ上で脳が恐怖を感じるのは、何が起こるかわからないと感じているためです。

そこで、本番の数日前から一連の流れを脳内でメンタルトレーニングすることで「未知の恐怖」を減らし、脳の異常反応を抑えられます

ここでのポイントは演奏だけをなんとなく思い浮かべるのではなく、五感を用いて鮮明にメンタルトレーニングすることです。初めての舞台の場合はできれば下見しておくと良いでしょう。

HRVバイオフィードバックを行う

また、最近の研究では「HRVバイオフィードバック」が音楽演奏不安の軽減に効果的といわれています(参考:Wells, et al, 2012)。

HRVは心拍変動のことであり、HRVが高いことは自律神経が柔軟でリラックスし集中しやすいことを意味します。

直感的には心拍数って変わらないほうが心が安定しているんじゃないの?と思われるかもしれませんが、実は緊張状態だと心拍数がただただ高い状態で一定になるのだそうです。

より自然なのは息を吸うと心拍数が少し速くなり、吐くと遅くなるというような、環境の変化に対応して心拍数が変化する状態であり、これが「高いHRV」と表現されます。

高いHRVの獲得に効果的なのが、スマートフォンアプリなどを用いて自分の心拍変動をリアルタイムでモニタリングするという手法です。

瞑想に近いものがあるのですが、自分の意志でHRVをコントロールできるという感覚が、正体のわからない恐怖に打ち勝つ原動力となります。

科学的根拠に基づいた「走らないための対策」:本番での対策編

続いて本番でできる対策をご紹介します。

ゆっくりした呼吸で迷走神経を刺激する

緊張をつかさどる交感神経など、人間の神経の中には自分の意志で動かせないものが多いです。

しかしながら、迷走神経と呼ばれるリラックスをつかさどる神経には「呼吸によって外部から刺激を与え、強制的に再起動できる」という面白い特徴があります。

研究によると、1分間に6回のペースで深呼吸を行うことで前述の心拍変動(HRV)が最大化し、心臓の動きと呼吸のサイクルが同調することが示されています(参考:Gilter, et al., 2025)。

これによって瞬時に迷走神経が刺激され、交感神経の暴走が抑制されるのです。

迷走神経にとっては吐くほうを長くしたほうが良いので、鼻から4秒かけて息を吸い、口から6秒かけて息をゆっくり吐くと良いでしょう。

  • 【吸う】 1、2、3、4……(お腹を膨らませる)
  • 【吐く】 1、2、3、4、5、6……(口から細く長く)

これを数分間行うだけで不安による心拍数の異常上昇を予防できます。

「センタリング」の実践

手の震えや力み対策の記事で紹介した「センタリング」も走り対策に効果的です。

詳細は以下の記事を参照ください:

もう力まない!クラシックギターの本番で「手の震え」を防ぐ科学的当日ルーティン
クラシックギターの本番で「手の震え」や「力み」に悩まされていませんか?あがり症の原因はメンタルではなく生理学的なエラーです。舞台芸術医学や運動生理学に基づき、食事、水分補給、手の保温、呼吸法など、本番当日に実力を120%発揮するための科学的ルーティンを解説します。

自分の外の世界に注意を向ける

演奏時にどこに注意を向けるかがテンポだけでなく、演奏の質に大きく影響するという研究があります(参考:Mornell and Wulf, 2018)。

重要なのは自分の内側に注意を向けるのではなく、外の世界に注意を向けるということです。クラシックギターの演奏の場合、具体的には以下のようになります:

  • 自分の内側に注意を向ける:左手の角度や位置、右手の力加減、どの弦を弾くかといった、自分自身の身体や筋肉の動きに注意を向ける
  • 外の世界に注意を向ける:楽器から響く音色、ホールの残響、聴衆の反応といった、演奏の結果として生み出される効果や目標に注意を向ける

研究によると、緊張度が高い場面では演奏者は無意識のうちに自分の内側に注意を向けてしまうのだそうです。すると上述の「無意識で弾けなくなる」現象が起き、走ってしまいます。

外の世界に注意を向けることで脳はフィードフォワード制御を取り戻し、単に走りにくくなるだけでなく音楽そのものの質が改善されるのです。

本番でテンポが速くなるのは精神論じゃ解決しない

ここまで解説してきたとおり、本番で演奏のテンポが速くなるのは精神論だけで解決できるものではありません

走るのは人間が生物として獲得した生存確率を上げるための特質であり、走る人はむしろ生物としては優れているともいえるのかもしれません。

そうはいっても演奏が走ったのでは困るので、脳に「本番での演奏は生命の危機ではないよ」と教え込む必要があります。

練習での対策も本番での対策もすべてを取り入れる必要がありません。まずは簡単なものを1つ2つ試してみて、効果の有無を確認してみてはいかがでしょうか?

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