ギターは自分で調律することが求められる楽器であり、チューナーなり音叉なりを使って誰もが音を合わせているかと思います。この時、「基準ピッチ」と呼ばれる5弦の開放弦の音程を意識せずにチューニングをしていると損をしているかもしれません。現在は440Hzが国際標準化機構で世界基準とされている基準ピッチですが、歴史的に面白い経緯があり、実は現代においてオーケストラやピアノでは440Hzはあまり使われていないという現実があります。クラシックギターの基準ピッチをどうすれば一番良い鳴りが得られるかも含めご紹介します。
A=440Hzは妥協で決まった?基準ピッチが440Hzになるまでの歴史的経緯
「基準ピッチ(標準ピッチ)」とは、音楽の演奏や楽器の調律(チューニング)をする際に、すべての音の土台となる「基準の高さ」のことです。一般的にギターの5弦の開放弦である「ラ(A)」の音を何ヘルツ(Hz)にするかで定義されます。
現在は国際標準化機構(ISO)によって世界基準が440Hzに定められている基準ピッチですが、どのようにして440Hzに定められたのかについて解説します。
どのように基準ピッチが変遷したのかをまとめたのが以下の表です:
| 年代・年 | 決議・規格名 / 時代 | 基準ピッチ | 時代背景 |
| 17〜18世紀 | ルネサンス・バロック期 | A=392〜466Hz | 地域やジャンルで極端にバラバラ。教会(高ピッチ)と宮廷(低ピッチ)で半音〜全音の乖離があり、バッハらは移調で対応。 |
| 18世紀後半 | 古典派時代(モーツァルト等) | A=420〜430Hz | ウィーンを中心に「クラシカル・ピッチ」として収束。現代の古楽アンサンブルの基準。 |
| 1859年 | フランス政府の決議 | A=435Hz | ホールの大型化による「ピッチ高騰(インフレ)」から歌手の声帯を守るため、世界初の国家法制化。アントニオ・デ・トーレスの時代。 |
| 1885年 | ウィーン国際会議 | A=435Hz | フランスの規格を国際標準として追認。ヴェルディは声楽家保護のため「A=432Hz」を提唱するも不採用。 |
| 1896年 | イギリス(New Philharmonic Pitch) | A=439Hz | 暖房設備の普及に伴い、室温20℃での管楽器のピッチ上昇分を熱力学的に計算して修正。 |
| 1939年 | ロンドン国際会議 | A=440Hz | イギリスの「439Hz」は素数のため電子回路での発振・分周が困難という工学的理由、および米国市場の優位性から「440Hz」へ妥協・合意。 |
| 1975年 | 国際標準化機構(ISO 16規格) | A=440Hz | 1939年のロンドン合意が戦後に正式に規格化され、現代の法的な世界基準として確立。 |
| 現代 | オーケストラ・ピアノの実質的な標準(デファクト) | A=442〜445Hz | 音響心理学的な「華やかさ」の獲得とアンサンブルでの「生存競争(マスキング打破)」のため再び上昇。 |
ルネサンス・バロック期:地域やジャンルでバラバラ
今でこそ世界共通の基準ピッチが存在しますが、19世紀以前には統一された基準ピッチが存在していませんでした。
このあたりの歴史的経緯はBruce Haynesの著書「A History of Performing Pitch: The Story of ‘a’」にまとめられています:
Haynes氏は残存する1,000以上の歴史的楽器のデータを解析し、その結果同じ都市内であっても演奏されるジャンルによってピッチが著しく異なっていたのだそうです。
たとえば17世紀から18世紀のドイツ圏において教会に設置されたパイプオルガンはA=466Hzという現在から比べて非常に高いピッチであったのに対し、宮廷の室内楽ではA=415Hz前後でした。この差は半音から全音程度に相当します。
このため、バッハなどの当時の作曲家はこの差を吸収するため、声楽やオルガンと木管楽器のパート譜の調合を意図的にずらして記譜していたのだそうです。
さらに同じ時代のフランスではA=392Hzという、現代から比べれば全音近く低い響きを使っていました。
古典時代から19世紀:ピッチの収束とインフレ

時代が進み、18世紀後半から19世紀初頭の古典派時代に入るとウィーンを中心とする地域ではピッチがA=420Hz~430Hzの範囲に収束していきました。さすがにピッチが違いすぎると演奏や作曲に支障が生じたのでしょう。
たとえばモーツァルトのピアノ制作者であったヨハン・アンドレアス・シュタインの楽器はA=421.6Hzに合わせて調律されていたという記録が残されています(参考:Gamut Music)。
19世紀に入るとオーケストラやコンサートホールが大型化し、より華やかで輝かしい音色が求められるようになります。
また、各楽器が他よりも目立とうとしてピッチをどんどん上げるという「ピッチ・インフレーション」という現象を生み出しました。
この現象は1815年のウィーン会議において、ロシア皇帝アレクサンドル1世が軍楽隊に対してより輝かしい音を要求したのが端緒という学説もあります(参考:Wikipedia)。
この結果、1850年台にはイギリスでA=452Hz~455Hz、ウィーンの一部でA=456Hzという、現代よりも1/4音から半音高い水準にまで基準ピッチが上昇しました。
声楽家が耐え切れず低い基準ピッチが国際標準に
楽器に関して言えば耐久性を上げるなどすれば基準ピッチの上昇に対応できます。
しかしながら、人間の肉体を使って演奏する声楽家は、基準ピッチの上昇によって声帯に高い負荷がかかるようになってしまいました。
そこでロッシーニやベルリオーズなどの作曲家や音響学者で構成された委員会の答申を受け、1859年2月16日にフランス政府が法的な国際標準としてA=435Hzと定めました。
この基準は温度が15度の条件下で測定されるものとされ、音楽史上初の政府公認の基準ピッチとして「フレンチ・ピッチ」や「コンチネンタル・ピッチ」の名前でヨーロッパに普及していくことになります。
ただ、フランスの法令だけではヨーロッパ全体の完全な統一には至らず、1885年にオーストリア政府の主導で開催された国際基準ピッチ制定のための会議が開催され、ここではじめてA=435Hzが国際標準となります。
電子技術の応用のためにA=440Hzが国際標準に

A=435Hzが「国際標準」として採択されたものの、参加していたのはヨーロッパの大陸側の国だけでした。
たとえばイギリスでは1869年にフィルハーモニック協会がA=439Hzを採用し(暖房の普及により室温20度での管楽器のピッチ上昇を考慮)、アメリカでは1920年代から1930年代にかけてA=440Hzが事実上の業界標準として普及し始めていました。
そこで真の世界標準を定めるべく1939年に国際標準化協会連盟(ISA)の後援により、イギリスのBBC国際放送局においてロンドン国際会議が開催され、A=440Hzが国際的な基準ピッチとして勧告されます。
イギリスが自国A=439Hzを捨ててA=440Hzを受け入れたのは、当時急速に発展していた電子技術による応用を考慮したためです。
439は素数のため当時の電子発振器や標準時計からこの周波数を生成・分周するのが困難でした。A=440Hzのほうが扱いやすかったためイギリスが妥協したといわれています。
つまり、現代においてチューナーのデフォルト設定であり、誰もが当たり前に使っているA=440Hzは音楽的必然ではなく、妥協の産物だったのです。
現代は再びピッチが上昇、オケやピアノは442Hz~445Hzが標準に
こうしてA=440Hzが国際的な標準ピッチとして勧告されたのですが、妥協の差物だったためかすぐに実態が逸脱してしまいます。
現代ではオーケストラやピアノはA=442Hz~445Hzとするのが標準的です。
特に理由がなければ国際的な標準であるA=440Hzを使うのが便利なのですが、あえてそこから逸脱したピッチが標準となってるのには理由が2つあります。
1つ目の理由は音の「華やかさ」を得るためです。
ヴァイオリンなどの弦楽器は基準ピッチを上げることで弦の張力が上がり、高次倍音(つまり高い音)の成分が増えます。
人間の聴覚は2kHz~5kHの帯域において最も高い感度を示すのですが、この成分が増えることで人間の脳は音色を「明るい」、「輝かしい」、「華やか」と知覚するのです(参考:Grokipedia)。
もう1つの理由は「マスキング効果」の打破のためです。
オーケストラにおいては100名近い奏者が同時に音を発するため、各楽器が見せ場において自らの音を聴衆に届けるには目立つ音を出さなくはなりません。
ピッチが高い音は低い音よりも他の音から浮き上がって聴こえる特性(Penetrating power)があります。
このため、ピッチが高い状態での演奏は同じ旋律と伴奏で演奏しても旋律が浮き上がって聴こえやすく、音楽表現を豊かにできるのです。
基準ピッチの違いがクラシックギターに与える影響
それでは基準ピッチが違うとクラシックギターにはどのような影響が出るのでしょうか。
まとめると、基準ピッチを上げると以下のような影響があります:
| 要素 | 影響 |
| 弦のテンション | 基準ピッチとともに上昇 |
| 音色 | 高音が明るくなるが、低音域の豊かさは低下 |
| ウルフトーン | ウルフトーンの出方が変わる |
弦のテンションが高くなる
弦の交換や調弦をしていると実感としてわかると思うのですが、音を高くするとテンション(張力)が高くなります。
これはメルセンヌの法則によって決まる科学的な事象であり、簡単に言えば弦のテンションは周波数の2乗に比例し、たとえば周波数が倍になると4倍になります(注:同じ弦の場合の話。長さや素材も影響する。)。
メルセンヌの法則から計算すると、A=440Hzから基準ピッチを変更すると以下のようにテンションが変わります:
| 変更前のピッチ | 変更後のピッチ | テンション変化率 |
| A=440Hz | A=442Hz | +0.91% |
| A=440Hz | A=445Hz | +2.28% |
| A=440Hz | A=435Hz | -2.26% |
| A=440Hz | A=432Hz | -3.60% |
| A=440Hz | A=415Hz | -11.04% |
あまり大きな変化に感じないかもしれませんが、比べれば意外とわかるものです。
音が明るくなり、低音域の豊かさは低下する

弦のテンションが変わるとギターの音色も変わります。
ギターの弦はサドルを介してボディに結び付けられるわけですが、弦が表面板に対して与えている力は水平方向(糸巻の方向)だけではなく、ブリッジをサウンドホール側に回転させる力が働きます。
ブリッジの剥がれはこの力によって起こるのですね。
すると、表面板のブリッジとサウンドホールの間はへこみ、逆にブリッジとテールの間は隆起します。
こうなると、力がかかっていない状態に比べて木材がピンと張られた状態になり、高音域の音響放射効率が上がり、音が明るくなるのです。
一方、ピンと張られると大きく振動しづらくなるので低音域の豊かさは低下します。
もちろん、基準ピッチをどんどん上げていくとどこかで表面板が割れるか、ブリッジが剥がれるでしょう。
ウルフトーンの出方が変わる
基準ピッチの変更によって影響が出るもう1つのポイントがウルフトーンです。
ウルフトーンとは弦の振動周波数と楽器のボディの共振周波数が一致した場合に起こる現象で、特定の音だけ大きく出たり逆に小さく出たりします。
ウルフトーンはどのクラシックギターも必ず持っているものであり、目立たない音程で発生するように設計時に工夫するのが一般的です。
このウルフトーンが発生する周波数は木材の質量と剛性、そして内部容積で決定されるため、弦のピッチを変えてもほとんど変化しません。
すると、それまでの基準ピッチだと目立たなかったウルフトーンが、基準ピッチを変えることで共振周波数と弦の振動周波数の関係が変わり、ウルフトーンが目立たなくなったり逆に目立つようになったりします。
このことを利用し、ウルフトーンが目立つ楽器に対して基準ピッチをあえて変えて目立たなくするというテクニックがあります。

ウルフトーンを調整したいが音色は変えたくない場合、基準ピッチを変えるとともに同じ弦のテンション違いを張るといいかもしれません。
クラシックギターの基準ピッチの選び方:440Hzは最適ではないかも
以上のことから、クラシックギターにおける基準ピッチの選び方を解説します。チューナーのデフォルトである440Hzは必ずしも最適とは言えないかもしれません。
選び方をまとめると以下です:
| 楽器や演奏形態 | 推奨されるピッチ |
| トーレスや19世紀ギターなどの古い名器 | A=435Hzなど低め |
| 現代の楽器 | A=440Hzを中心に好みで調整 |
| 重曹やアンサンブル | 全員で同じ基準ピッチを使用 |
トーレスや19世紀ギターなどの古い名器は低いピッチがおすすめ
まず、トーレスや19世紀ギターといった古い名器は低いピッチでの調弦がおすすめです。
理由としてはそもそもギターが古く、壊れやすい状態になっているので、高い張力に耐え切れないということが挙げられます。
また、たとえばトーレスが活躍した時代(1850年から1860年ごろ)はA=435Hzの時代であり、そもそも設計時に440Hzを前提としていない可能性が高いです。
名器を壊さず次世代に伝えるという目的はもちろん、低めのテンションのほうが作られた当時の音を楽しめるのではないでしょうか。
参考までに、トーレスのレオナモデルのレプリカを製作した中野潤氏は415Hzに調弦しています(参考:中野ギター工房)。

アントニオ・デ・トーレスや彼の有名なギターであるレオナについてはこちらの記事で詳しく解説しています:

現代の楽器なら440Hz以上で好みの音色を探す

現代の楽器の場合、A=440Hzに定められた後なので設計時にも440Hz周辺の基準ピッチを前提に作られた可能性が高いです(レプリカモデルを除く)。
このため、A=435Hzなどに下げると表面板が十分ピンと張られず、音がぼけたり反応が悪くなるでしょう。19世紀の音楽を奏でるときはその時代のA=435Hzにすべきという論もありますが、楽器の音響特性という観点でいえばメリットはありません。
自分の楽器は何Hzが最も良い音になるかについては、好みもありますので自分で探求していく必要があります。
たとえ製作家が前提としていた基準ピッチがわかっても、弦が違うかもしれませんし、その音が好みとも限りません。
これまで440Hzしか試したことがない方は、一度435Hzと442Hzを試してみてください。基準ピッチが音色に与える影響を実感できるでしょう。
重奏やアンサンブルの時は基準ピッチの違いに注意
重奏やアンサンブルの場合は演奏する全員の基準ピッチが一致していないと和音に濁りが出ます。
それぞれが個別のチューナーで合わせている場合は、必ず同じ基準ピッチを使っているか確認してください。
もちろんチューナー間には誤差がありますので、最後は耳で合わせるのがおすすめです。
A=440Hz以外で調律できるチューナー
チューナーを使う場合、どんなチューナーを使えばA=440Hz以外でチューニングできるのでしょうか。
実は現在販売されているチューナーはほとんどがA=440Hz以外に対応しています。
たとえばコルグ社が現在生産しているクリップチューナーを調べてみたのですが、8製品中6製品が対応していました。
かなり安いチューナーの場合は対応していない可能性がありますが、たとえば以下のようなダダリオの廉価モデルでもA=430Hz~450Hzでのチューニングに対応しています:
ぜひ一度、お手持ちのチューナーが基準ピッチ変更に対応しているか確認してみてください。
対応していなかった場合は安いチューナーでも良いので基準ピッチが変えられるものを購入するのがおすすめです。
私が愛用しているチューナーの場合、こちらのステージ上で目立たないPW-CT-12RCはなんとA=410Hz~480Hzまで対応しています:

精度の高さが自慢のPOLYTUNE CLIPはA=435Hz~445Hzの対応です:


以下の記事でほかにもおすすめのチューナーをご紹介しています:

また、クリップチューナーはギターの音質を損なうのか?という疑問に対する調査を行った記事もあります:

A=440Hzは絶対的な音楽的真理ではない!

ここまで解説してきた通り、A=440Hzというチューナーでデフォルトになっている基準ピッチは決して絶対的音楽的真理ではありません。
むしろ声楽家への配慮や電子工学分野への妥協から決まったものであり、現実的に現代のオーケストラやピアノはより高い基準ピッチで演奏しています。
クラシックギターにおいても440Hzが絶対的な正解ではなく、基準ピッチを変えることでギターの音色を調整することができるのです。
クラシックギターはピアノに比べて誰もが手軽に基準ピッチを変えられます。ぜひ一度基準ピッチをA=440Hz以外に変更し、自分の楽器のポテンシャルを試してみてはいかがでしょうか?














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