クラシックギターの楽器としての良さを示す要素の一つとして「遠達性」という言葉がよく使われます。音量、音質、音程に比べるとどうも曖昧なものに感じますし、そもそも近くで鳴らないのに遠くで鳴るというのは直感的にはおかしな話です。でも、さまざまな科学的な論文を調査すると実は「遠達性」というものはあり得ることがわかりました。現代の音響学が解き明かしつつある、遠達性のメカニズムを詳しく解説します。

このサイトのクラシックギターの材料や楽器その物に関する記事は以下の記事でまとめてあります:
世の中でいわれる「遠達性」とは?

まずは「遠達性」とは何か?という点をまとめてみます。
遠くで聴いても大きな音がすること
「遠達性」とは一言でいうなら遠くで聴いても大きな音で聞こえることです。
さらに言えば、遠くで聴いても近くで聴いているのと同じ音質でよく聞こえることというのも条件に入るようです。
この言葉はどうもクラシックギターで主に使われる言葉のようで、Googleで「遠達性」を検索すると上位のほとんどはクラシックギター関連のサイトになります。
クラシックでない楽器はPAを使うので遠くで聞こえる聞こえないはアンプ/スピーカー次第なのであまり気にならず、クラシックギター以外のクラシック楽器は音量が大きいのでそれほど遠くで聴くときの音量について気にならないのでしょう。
「遠達性」反対派の意見
言葉としてはクラシックギターの世界に深く浸透している「遠達性」ですが、そもそも遠達性というものは存在しないと主張する方もいます。
その理由は「音は距離とともに減衰するから」というものです。
確かに音響学では、音の強さは距離の二乗に反比例して減衰します。距離が2倍になると音の強さは4分の1になるということであり、これは覆しようのない事実です。
音響物理学からひも解く遠達性

遠達性について科学的に調査していくと、遠達性というのは音量のように単一の指標で表せるものではないことがわかりました。
楽器の音や人が感じる音の大きさというのは複雑な要素から成り立っており、それが「遠達性」につながっています。
特に遠達性に関連が強いのが「近傍界(Near-field)」と「遠方界(Far-field)」における音の伝搬の違いです。
参考:John Coffey, Physics of Sound Wave Radiation from Vibrating Surfaces, 2015
読んで字のごとく楽器の近くで聞く音が「近傍界」の音、楽器から離れた空間で聞く音が「遠方界」の音であり、まずは表にまとめると以下のような違いがあります:
| 近傍界 | 遠方界 | |
| 定義される距離 | 音の波長または音源サイズの数倍以内 | 音の波長以上の距離から無限遠まで |
| 音圧と距離の関係 | 複雑な干渉があるため、一定の法則に従わない | 距離が2倍になると音圧が4分の一に |
| 音の位相関係 | 音圧と粒子速度の位相が一致しない(反応性成分) | 音圧と粒子速度が同位相(伝搬性成分) |
| 指向性の影響 | 指向性にあまり影響されない | 指向性に大きく影響される |
| 聴感上のアタック音の大きさ | アタック音が支配的 | サステインが重要 |
いきなり難しい話になってしまいましたが、かみ砕いて説明していきます。
クラシックギターでは約4mが境界
まず、近傍界/遠方界が定義される距離はクラシックギターでは4mほどが境界です。
近傍界と遠方界は音の波長によって決まるのですが、クラシックギターの最低音である6弦の開放弦が最も波長が長く、その波長は約4.2mです。
一方、高い音は波長が短くなり、境界は音源サイズによって決まるようになります。
ギターの音源サイズは表面板のサイズあるいはネックも振動すると考えると全長であり、大体40cmから1mほど。すると、その数倍ということは1mから3mほどになるでしょうか。
以上より、クラシックギターにおける近傍界と遠方界の距離は以下のように定義されます:
| 距離 | 近傍界/遠方界 |
| 1m以内 | 近傍界 |
| 1mから4m | 近傍界と遠方界が混じった領域 |
| 4m以上 | 遠方界 |
近傍界でしか聞こえない音がある

遠達性が存在しないと主張する人が論拠として挙げている「音の大きさは距離の2乗に反比例して小さくなる」というのは、音源が非常に小さな点(点音源)であれば正しいです。
しかしながら、クラシックギターは点音源ではなく比較的大きな表面板が振動しています。
楽器から遠く離れれば点としてみなすことができ、素直に距離の二乗に反比例して音が小さくなりますが、近くだとそうはいきません。
この結果、近傍界と遠方界で音の振る舞いが違うという現象が生まれます。
具体的には以下の要素があります。
ギターのあらゆる場所から出た音が互いに干渉する
ギターという比較的大きな音源から出た音は点音源ではなく、大量の音源が複雑に組みあわさった音とみなせます。
たとえばブリッジ近くとヘッド近くの表面板は別の音を出しているとみなせ、それらがお互いに干渉しあいます。その数は2つや3つとかではなく、ギターの構成要素のあらゆる場所が干渉しあう音を出している状態です。
最近流行のノイズキャンセリングイヤホンは、ある音に対してそれを打ち消す成分をぶつけることで音を消しているのですが、ギターの近傍界では打ち消しあう現象や逆に強める現象、その中間の現象が大量に起きているのです。
一方、遠くに離れるとこの現象が落ち着き、あたかも点音源から音が出ているように聞こえます。
近くで聞いている人と遠くで聞いている人で音量や音質が異なって聞こえるという現象はこれによいり生まれます。
低音で顕著な「反応性成分」
音には空気中を伝わらずに表面板の周りを行ったり来たりする「反応性成分(Reactive component)」と呼ばれるエネルギーが存在します。
特に低い音で顕著なのですが、奏者が直接音を聴いたり振動として感じたりできるものの、遠方には届かないので「奏者は大きな音に聞こえるけどほかの人はそうでもない」という現象が起きるのです。
物理的に言えばこれはショートサーキット現象によるものです。
表面板は空気を押し出し圧縮ことで音を生み出すのですが、空気を圧縮する前に表面板の裏側や横に空気が回り込んで逃げてしまうという現象が起きます。
圧縮されれば「音の波」になって遠くに届くのですが、回り込んで逃げたものは表面板の周りにしか存在できません。
反応性成分の逆の成分が「伝搬性成分(Active component)」と呼ばれるもので、これは前述の空気を押し出して圧縮したものです。これが遠達性に寄与します。
伝搬性成分を増やすには以下の2条件が必要になります:
- 音源が大きい
- 振動が高速(=高音)
ギターは最低音の波長が4mもあるのにボディが約40cmしかないので、比較的反応性成分が生まれやすい楽器であるといえます。
音の「指向性」による違い

音には「指向性」というものが存在します。
指向性は特定の方向に集中して音を飛ばせることを示し、指向性が高いということは限られたエネルギーを特定の方向に集中して飛ばせることを意味します。
指向性が聴衆のほうに向いていれば遠くまで届く音、つまり遠達性が生まれるでしょう。
ギターが音として使えるエネルギー、つまり弦の振動にはギターごとの違いはそれほどありません。しかしながら、そのエネルギーを聴衆に向かって集中して放つか、それとも広い範囲に向けて放つかによって遠くで聞こえる音量が変わります。
たとえるなら、指向性の低い楽器は豆電球のように全体を照らし、指向性の高い楽器はスポットライトのように特定の場所を明るく照らすのです。
ホールなどの部屋の中の場合、広い範囲に向けて放たれた音は壁に反射し、反射音の中にギターから直接出た音が埋没して音がはっきり聞こえないかもしれません。
また、前に音を飛ばす指向性が高い楽器の場合、奏者が聞こえる音が小さくなるので、自分が思っているよりも音量が大きく聞こえていた、という現象が起きます。
近くで目立つアタック音と遠くでも聞こえるサステイン
音はその高さによって特性が変わります。遠達性の観点で重要なのが、「アタック音」といわれる比較的高い音です。
| 音の成分 | 周波数帯域 | 物理的特性 | 遠達性への影響 |
| アタック音(過渡音) | 3kHz – 10kHz | 空気に吸収されやすい、指向性が高い | 近距離での「音の大きさ」や「派手さを演出」するが、遠くには届かない |
| サステイン | 125Hz – 1,000Hz | 減衰が少なく、残響がホールに残る | ホールの遠方まで明瞭に届く |
ここで重要なのが人間の聴覚上の特性です。人間は音の大きさを瞬間瞬間で判断するのではなく、一定の時間(約100ミリ秒から200ミリ秒)にわたって統合して音量を判断します。
その結果、必ずしもアタック音が大きいからといって大音量と判断するのではなく、サステインが長い音も大音量とみなされるのです。
そして、アタック音が大きい楽器は近くでは大音量とみなされますが遠くには届かないので音が小さいとみなされ、サステインが長い楽器は奏者にはおとなしく聞こえても遠方でも音が衰えないように聞こえます。
科学的に言う「遠達性のある楽器」とは?

ここまで音は近くと遠くで特性が違うことを解説しました。
これをもとに、どういう楽器が「遠達性がある」のか、そしてどういう音が「遠達性がない」のか解説します。
表面板の有効面積が広い
最初の要素は表面板の有効面積の広さです。
先に説明したとおり、遠達性で重要な伝搬性成分は音源が大きいほど増えます。
ギターのボディサイズはある程度決まっていますが、振動の観点での表面板の実効面積は設計によって同じにはなりません。
力木の配置や板の厚みによっては表面板の一部しか動かなかったり、あるいはばらばらの方向に動いてお互いに振動を打ち消しあうと物理的に「一回り小さい楽器」として振る舞ってしまい、伝搬性成分が少なくなってしまいます。
一方、設計が適切に行われた楽器は表面板全体が一体となって空気を押し出し、同じサイズでも伝搬性成分の割合が大きくなるでしょう。
表面板の反応が速い
弦が振動してから表面板が大きく振動するまでの時間は0であるのが理想ですが、実際にはタイムラグがあります。
表面板の反応が遅いと空気を圧縮して押し出す前に空気が横に逃げてしまい、反応性成分が増えてしまうのだそうです。
ただ、「反応が速い」といってもその実現は簡単ではありません。重すぎる板は動き出しが遅いですし、軽い板は柔らかすぎて空気に押し負けて板がゆがんでしまいます。
このあたりの設計のうまさが「名器」の条件といえるかもしれません。
指向性が強い
前に飛ぶ指向性が強いと聴衆に直接飛ぶ音のエネルギーが強く、遠達性がある楽器に聞こえます。
そのためには先述の表面板の有効面積を広くするほか、位相の干渉を利用するのが重要です。
具体的には裏板を重く硬くすることで後方に出る音を減らし、前方に出る音と干渉しないようにするという設計が挙げられます。
また、裏板を曲面にすることでパラボラアンテナのように音が出る方向を制御するという方法もあります。
アタック音よりもサステインにエネルギーを使う
アタック音が大きい楽器は近くでは大きな音に聞こえますが、遠くではアタック音が届かないので小さく聞こえます。
同じエネルギーの量をアタック音よりもサステインに使うことで遠達性がある楽器に聞こえるでしょう。
伝統的な構造とラティスブレーシングやダブルトップなどの新構造、どちらが遠達性がある?

遠達性話題では、伝統的な構造の楽器とラティスブレーシングやダブルトップなどの新構造はどちらが遠達性があるのかという議論がよく取りざたされます。
ここまでの話から出る結論は「一概には言えない」です。論点ごとに特徴をまとめると以下の表になります(あくまで一般的な伝統的/新構造の話であり、設計や材料によって大きく変わります):
| 伝統的な構造 | ラティスやダブルトップなどの新構造 | 遠達性観点での判定 | |
| 表面板の反応の速さ | 表面板が厚く空気に押し負けない | 表面板が薄く速い | どちらがいいとも言えない |
| 指向性の強さ | 裏板も振動するため打ち消しあいが発生する可能性あり | 裏板が重く硬いので音を前に出せる、アーチバックなら音を前に集中できる | 新構造のほうが有利 |
| アタック音とサステイン | 表面板が分厚くアタック音は控えめ、サステインは長め | 表面板が薄くアタック音が強め、アタック音にエネルギーを使われるのでサステインは短め | 伝統的な構造のほうが有利 |
つまり、どちらかのほうが遠達性にとって圧倒的に不利ということはなく、お互いに良いところと悪いところがあります。

新構造のギターについては以下の記事で詳しく解説しています:
「遠達性」の正体は1つではない、したがって意見もいろいろある
私が調査とこの記事の執筆をして感じたのは、「遠達性」の正体が1つではなくいくつもあるから、人がどの要素に注目するかによって意見が変わるのではないか?ということです。
今わかっているだけで音の干渉、反応性成分、指向性、サステインという要素が遠達性に影響しており、それぞれ聴感上や奏者との距離に応じてどのように音量や音質が変わるかが異なります。
無意識のうちにある人はこの中で反応性成分のことを重視し、またある人はサステインを重視しているのかもしれません。
だとすると「遠達性」という共通のことを議論しているつもりが、違う要素のことをお互いに言い合っていることになります。さらに、まだわかっていない「遠達性」に影響する要素はきっといくつもあるでしょう。
このような状態ですので、「伝統楽器は遠達性がある」とか「新構造のギターのほうが遠達性がある」と一般化して主張するのは無理があるといわざるを得ません。
少なくともお互いを攻撃しあうような不毛な争いだけは避けたいものです。




コメント
遠達性とは遠くに大きな音が届くことではなく、遠くでも旋律や和声、くっきりと音楽の輪郭が伝わることではないでしょうか?
また現代ギター誌の記事内容についても、倍音が大事というのは、その大きさではなく、奏でられた音楽の明瞭さを保つ派形が重要だということと、私は理解しました。
ですから、ギタルラ社の青柳さんのご意見は基本的に間違ってはいないと思います。
ロドリゲス 様
コメントありがとうございます。
確かに、そもそも「遠達性」とはなんぞや、というところから議論を始めるべきなのかもしれませんね。
人によって「遠達性」の判断基準が違うのかもしれません。
なんとなく字面だけで言っているから意見が合わないという側面もありそうです。
また、「倍音」とかなんとなく科学っぽい用語を導入するのも混乱を招く要因なのかもしれません。
なんにせよ、難しい議題であることは確かですね。